ワンルームの次に若本たちが選ぶ住まい

一般的なワンルームに興味を感じなくなった若い入居者たちはどこに行くのでしょうか?私が最近、強く感じるのは、彼らの住まい方に対する価値観、考え方が変化しているということです。
新しい住まい方のひとつが、シェアハウスです。シェアハウスの台頭により、初期費用をかけることなく、カバンひとつで東京に住める時代がやってきました。とくに東京では、このスタイルが短期間で急速に増えてきています。

ファミリー向けの戸建てや、2LDKのマンションなどを借りて、友人同士で住むという「ルームシェア」については、これまでも日本にありました。
それに対して、シェアハウスといわれるシェア型の住居は、事業者が管理し、個々のお部屋が別々の人に賃貸物件として貸し出されています。 まったくの他人同士がひとつ屋根の下に住むという新スタイルです。しかし、一説によれば、シェアハウスの入居者数は、すでに1万人を超えたとも言われています。

私自身は、シェアハウスは昭和30~40年代の「下宿」形式に、日本人の住み方が戻ってきているのかなと感じています。
昔は、地方では、長男しか家を継ぐことができませんでした。そのため、長男以外の子供たちの多くが集団就職で都会に出てきたのですが、彼らは全員が企業に就職したのではありません。私の地元である世田谷の肉屋や八百屋、蕎麦屋、それに父の工務店でも彼らは働いていました。そして、下宿形式で、自分が働く店の家族と同じ屋根の下に住みました。

今では考えられませんが、普通の商店に若い人がたくさんいて、一生懸命働いていた時代があったのです。 当時、大学へ進学できるのはほんの一握りのエリートだけ。普通の人は働いて食うのに精いっぱいでした。

この記事を書いた人

1959年、世田谷で工務店経営者の次男として生まれる。 世田谷にて珈琲専門店を経営していたが、株式投資の信用取引に手を出しバブル崩壊 と共に人生も崩壊。 夜逃げ、離婚、自己破産を経てタクシー運転手になり、その後土地の相続を受け 本格的にアパート経営に乗り出す。 世田谷、目黒などのブランド立地に駅から徒歩5分以内にこだわり新感覚アパートを 提唱し、土地2建物1の黄金比にて10年前後で回数し、ゆとりのある資産運営できる アパート経営実践会「10年後に笑大家の会」を主宰している。 自身も世田谷、目黒を中心とした60室の大家である。

最近書いたコラム