日常的にたくさんの人に接することに疲れてしまって、しばらく共有スペースに顔を出さない現象——これをうちでは“シェア疲れ”と呼んで、初期の頃、流行語になりました。
うちがオープンしたのは1年半前なのですが、そうですね、最初の3か月くらいは、みんな総じてテンション高く、お互いが新鮮だったのか、自分たちがこれから一緒に時間を共にすることになる新しいコミュニティに夢中で、連日夜中2時頃までは当たり前のように起きていて、下手したら徹夜で飲みながら語り合ったりする蜜月の季節が続きました。
が、3か月を過ぎたあたりからだったかな? 何日間か共有スペースに顔を出さない、という行動を取る人がぽつぽつと出現。
「おっ久しぶりだね」と声を掛けると、「シェア疲れで引きこもってた(笑)」という答えが返ってくる、というのが流行った時期がありました。
(“流行った”のは当時、新規の現象だったから。誰かが最近あまり顔を出さないことは今となっては日常化しているのでとくに取り立てて話題にすることでもなくなった。)
私なんかは、1年くらいはほぼ毎日るんるん♪と共有スペースに顔を出していたような……今も、旅行中や帰省中などの期間を除き、3日以上行かない、ということはあまりないですね(ま、フリーランスになった今は共有スペースが仕事場になっている、ということもあるのだが)。
それくらい“シェア疲れ”には個人差がありますが……果たして“シェア疲れ”とは何なのか?
これからシェアハウス生活を始める人や、今シェアハウス生活をしていて戸惑いを感じている人の参考になればと思います。
“シェア疲れ”と言えば、その言葉をよく使っていたAさんがパッと思い浮かぶのですが、彼女は当時よく「もうFacebook見るのが嫌なんだよね」ということもよく言っていました。
彼女は仕事以外にも、英語の勉強やホームパーティのエキスパートとしての活動をライフワークとして取り組んでいて、それに集中する時間を確保するため1年後にシェアハウスを出る選択をした人。「シェアは楽しいから共有スペースにいるだけで時間があっという間に経っちゃうし、自分を律さないと快楽に流されちゃうんだよ」ということも彼女の口からよく聞きました。
シェアハウスやFacebookは、リアルであれバーチャルであれ、たくさんの人間と接する“場”で、その“場”にいる時間分は、自分独りの時間が削られる、ということ。
つまり、“シェア疲れ”の正体は、『独りの時間が奪われることへの恐れ、気疲れ、フラストレーション』だと思うのです。
彼女にとって、シェアハウスという環境にいる上にFacebookでも自分の時間を割かれるのはもうキャパオーバー。それで嫌気が差したんだろうなぁ、と想像します(というのも、引っ越した後、彼女はFacebookでの投稿がちょくちょくある!)。
ほかにも、Kくんの場合、ちょうど誕生日パーティでわいわいお祭り騒ぎをしていた日に引っ越してきたため、「毎日こんなのが催されているところに俺は来てしまったのか……orz」と勘違いし(笑)、最初の頃はしばらくあまり顔を出さなかった例もありますし、別のK´くんの場合は、仕事をしようとPCを持って現れたところ、みんなわらわらと寄ってたかって彼に話し掛けたために仕事ができず、そそくさと部屋に戻ってしまって以来、共有スペースにあまり来なくなってしまった、という例も。
これらは“シェア疲れ”というよりは“シェアトラウマ”とでも言うべきレベルかもしれませんが……。
『誰かと一緒に何かをする』というよりは、『個人の活動をする』時間が欲しい、と思っている人にとっては、共有スペースに顔を出す際には『誰かに話しかけられ、それが長引く可能性がある』という心づもりと、それを受け入れられる心の余裕が必要。
実際、心の底から切羽詰まっているときの私がネズミのように部屋に引きこもって仕事をすることからも、身に染みてよく分かります……。
“シェア疲れ”に陥りやすい人はきっと、独りの時間を確保したいにも関わらず、人と過ごす時間にそれを譲り渡してしまいがちな、人と人との境界に線を引きづらい優しくも揺れやすいタイプの人なんだろうな、と。
それとは逆に、パキッと区切りをつけてサッと部屋に戻れるタイプの人もいて、行動パターンは人それぞれだなあといろんなシェアメイトたちを見ていて思う。
“シェアトラウマ”は避けたいけど、“シェア疲れ”程度であれば自分の性質を知る材料にもなるし、ときどき発症しながら徐々に自分なりのシェア付き合いのベストバランスを探っていけばいいんじゃないかなと思います。
と、これを書いている今こんなテーマにしたのも、珍しいことにFacebookを見る気力があまりない自分がいるから……。あれ? もしや私、絶賛シェア疲れ中……?
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