「やっぱり、大学までの友達が本当の友達だから、大事にした方がいい」
こんな諭しが、大学を卒業する前にどこからともなく私の耳にちらほら入ってきました。
「ふーん、そんなもんなのかなぁ」と当時はぼんやり思った私でしたが、実際に社会に出てみると言わんとすることが分かる。
同僚や仕事相手とは仲良くなりこそすれ、仕事で絡んでいる以上、純粋な友達かと言われるとちょっと違う。
仕事とは関係なく新たに知り合った人とは、頻繁に会うようなことってあんまりないから、よっぽどのことがない限り距離は縮まりにくい。
思えば、小学校から大学までは、ひとところに人が集まらないといけないという必然性によって、いつも顔を合わせるレギュラーな人間関係をお膳立てされていたのです。
「自分から会いに行く」という自発的なパワーを使わずとも、人と親密になる機会を自動的に与えられていたわけです。
だけど、社会に出たら、ビジネス上の利害関係が絡まない人間関係をつくるには、自分から相手に近づこうとする努力が必要。
ときには、「取引先のあの人に会いたい♡」とか、利害関係にかこつけて接近することで利害関係なしの関係にまで持っていこうという、逆説的な行動まで出てくる始末です。
……とまあ、これが「学校を出たら友達ができにくい」という言説の所以であるわけですね。
が、近年になってこの説を覆す社会システムが出現しました……それが、シェアハウス!
私が住んでいるシェアハウスの人がよく言っています、「シェアメイトの関係って、学校のクラスメイトみたいだよね」と。
私の言葉で言えば、「家族と友達の中間」。
人にもよく、そう説明します。
シェアハウスでは、同じところに住んでいるのだから、人と会うことにエクスキューズが要らない。
要らないどころか、キッチンや共有スペースを利用するわけなので、むしろ顔を合わさざるを得ない。
そうやっているうちに必然的に、日常の中でお互いがお互いの中での存在感を増していく。
私たちが子供の頃にできていたはずである「自然と人と親密になる」という体験を30歳をすぎたいい大人になってからも、再び取り戻すことができる——それがシェアハウスという装置なのです。
一緒に食べたり、一緒におしゃべりしたり、一緒に遊びに出かけたり、一緒に勉強したり、ときにはイベントを企画してみんなで共同作業をやったり。
クラスメイト的存在、とはとても言い得たもので、シェアハウスはいわば、現代における「大人のための“学校”的装置」。
社会に出て、一人前の大人になっても、青春は続行可能。
そのことを証明したのがシェアハウスという存在であると、都会の砂漠で独身生活を送りながら人間の心を回復してきた私(30歳・女)は思うのです。
RECOMMEND