「やった!!やっとこっち側に来たなぁ、祥子さん!」
中華料理屋で堀本さんはいつもの関西弁で言った。そして、一緒に食べていた火鍋越しに握手を求めて、手のひらを差し出してきた。
「えっ、何それ!?」
火鍋の蒸気が彼女の腕にモワモワと当たっている。私は面食らったのちに吹き出した。だって、彼氏と別れた話を聞いて言祝ぐ人はあんまりいないだろう。それなのに、堀本さんはウェルカム!みたいな顔をしているのだから、やっぱりちょっと変わってる。
「いや、これで祥子さんがのびのびと好きなようにやっていけるなと思って。働く環境にしても住む環境にしても2人の選ぶものが違ったっていうことやね。なんか、前よりも今の祥子さんの方が、人としての輪郭がはっきりした感じがするよ」
「へえ、そっかあ。でもたしかに私、前は、思ってることを人に伝えるのを避けてたんだよね。まあ、文彦にはストレートに言いすぎたかもしれないけど、自分の考えを人にぶつける自分、初めて見たんだよね。実はあの『言ったった!』ってスカッとした瞬間を何度も思い出して反芻してたりするんだよ」
そうなのだ。文彦との別れに傷つく気持ちよりも、見たことがない自分がひょっこり出現したことに興奮している自分がいる。あの瞬間の私は記憶の中で鮮やかだ。
これまで突っ立って眺めているだけだった、私の周りを360°囲っているスクリーンに流れていく景色は平坦な虚像なんかじゃなく、地面を蹴り出せば掴みに行ける、色と温度と感触を持った果実だったのだ。それに気付いたのは、洪水事件を起こした私が、自分の足でみんなに謝りに回ろうと決めたときからだ。あのとき、私は自分の居場所を自分で選んだのだ。
「それでさあ、祥子さん、シェアに好きな人とか気になる人とかいないの?」
堀本さんに聞かれて、咄嗟に友祐くんが心に浮かんだ。
「えー。まあ…いるよね」
「そりゃそうやんなぁ〜。でもな、シェアハウスってしばらく住んでると『いいなぁ』って思う人、どんどん変わっていくから!」
「え、そうなの?」
「うん。私なんか、一周して今となってはシェア男子全員アリって感じになっちゃったもんね。ははは。次々変わっていくから、最初のうちから記録しといて、後から見返したら面白いと思うよ〜。『え、私、この人のこともかっこいいとか思ってたんや〜!』とか思って」
「まじで?じゃあそうする!あはは」
もしも、このシェアハウス生活には酸いも甘いもあったとして、30歳の私の手には余るものだったとしても、私は日々の響きを体ごとじかに感じたい。青春。それは、10代、20代の頃にはあらかじめ用意されていたものだった。だけど今これからの青春は、自ら仕掛けていくものなのだ。その第2の青春に私は、味をしめ始めていた。
—end—
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